2017年7月
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2017年7月15日 (土)

もぐらくんの自然のこと(東京湾)

東京湾の昨日と今日(16)

 江戸の時代 日比谷公園は入り江(海)であった
 時代は、江戸には大勢の人々が集まり、
  武家、町人、農民、大工や漁民が集められ
大きな町から。。。ついに都市へと発展してきました
 佃島は、大阪から当時にとって、近代的
  漁業が始まり、そして色々な市場が日本橋に
   造られて、食の文化が広がっていきました
 http://www.tbeic.go.jp/kankyo/mizugiwa.asp
  東京都環境情報センターのページですが
  「東京湾を取り巻く環境」
   東京湾の今昔がくわしく 載っています
 Photo  
 お台場からの眺めです  一気に江戸から今日になりました
   下はレインボーブリッジを渡って、お台場公園に
     来たところです
 
  Photo_3
  ここはお台場で、埋め立て地ですが、自然海浜
    自然干潟を工夫して作り
 きれいな海が。。。と私は思います
    そして、海の中には、昔の江戸の海の魚や貝が
     戻ってきてます
 
 

2017年7月 1日 (土)

もぐらくんの自然のこと(東京湾)

  

東京湾の昨日と今日(15)

 
 日比谷公園あたりは、江戸時代まで海であった
  入り江で漁村であった
   江戸城(皇居)の堀は、入り江の一部であった(前回)
 さて、今日は少し場を変えて、隅田川の東京湾の接点です
  現在も地名が残っていますが「佃島」です
   今は、「もんじゃ」の月島が有名となっています
   佃島は江戸時代の島で、この先を明治時代に入り
    埋め立てたのが「月島」です
  東京湾は、大きな遠浅の海であったので、江戸の町つくりに
   埋め立てが、重大な要素だったのです
       Photo
   佃島は当時は島で、交通手段は船だけでー「渡し」でした
    佃島は家康が大阪から、漁師を集団で移住させ
     江戸の台所の一端を担ってもらったのです
      漁の安全を「住吉神社」に願いました
     Photo_2
   現、佃大橋のたもとに、この碑があります
     大橋の誕生で渡しは、無くなりました
    (江戸時代佃は祭が盛んで、渡しは、いっぱいの人でした)
   Photo_3
 
    東京湾に残る、重要な歴史の一齣でしょう
 

2017年6月16日 (金)

もぐらくんの自然のこと(東京湾)

 

東京湾の昨日と今日(14)

  武蔵野台地を流れる上水や用水を見てきました
     ここに加えて地下水や崖の湧水もたくさんあって  
  ところにより滝もあるんです
  (東京の名水をどうぞ訪ねてください)
 でも、そろそろ東京湾に行かないと。。。。と思ってます
 さて、江戸時代の江戸で
  第一の仕事は  陸地を広げて
   人を住まわせることが幕府政治の要件でした
  関ケ原から大阪の陣を経て。。。。
    政治は人々の生活へ  と向かったのです
       (戦後処理を含めて)

    Edoo
  いまでは、お台場まで陸になってますが
   信じがたいことに 丸の内や日比谷は海だったのです
    日比谷入江や日比谷村という地名が見えます
    芝浦はまさに「浦」であったのでしょう
 
  現在、日比谷公園内に、当時をしのばせるものがあります 
 Photo_2
  この石垣は当時の日比谷入り江の
       海の護岸と言われています
   ここと皇居の堀がどこかでつながっていたのでしょう
 この池は
       Photo_3
    心字池と言わわれて
      池の形が「心」の形になっています
       日比谷j公園の一番丸の内側、公園入り地のそばに
       あります
      その他、日比谷公園にはいくつもの歴史を物語る
        材料が多くあります
      ところで、今、一等地の場所なのですが、 
         元、海であり地盤が悪く、公園とせざるを得なっかった
         のが、日比谷の裏話のようです

2017年6月 3日 (土)

もぐらくんの自然のこと(東京湾)

東京湾の昨日と今日(13)
 
 今日は湧水についてです
 武蔵野台地にたくさんの湧き水があります
 玉川上水や野火止用水は人工の水路で
  すが。。。。
  多摩の丘陵からゆっくりと地中をながれてきた水
 が、武蔵野台地の、いくつもの場所に地表に
     現われています
   Photo
 ここは。。。
  井の頭公園の湧き水で、お茶に使用されたそうです
  お茶はともかく、江戸時代に上水として重宝されました
   井の頭公園を出た水は。。。。
    神田川として江戸の町をうるおしたのです
      Photo_2
  また、現東京には。。。東京の「名湧水57選」があって
   是非、興味ある方はどうぞ訪ねてください
http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/water/conservation/57senA3.pdf
http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/water/conservation/spring_water/tokyo/

2017年5月20日 (土)

もぐらくんの自然のこと(東京湾)

東京湾の昨日と今日(12)

  東京湾へは なかなか。。。
      まだ武蔵野台地にとどまっています
 今回は野火止用水です
Photo
ここは前回の玉川上水の少しだけ、下流です
 ここから、野火止用水が分枝されて 直角に北へ
      流れます
 清瀬市では静かな住宅街を流れ
  市民のいこいの小川になっています
 
玉川上水には、いくつかの支流が
  武蔵野の住民の水の供給と
    畑への作物のために使われました
   実に、江戸の100万住民の食生活に
   寄与したのです
        
         Photo_2
    野火止用水はその後
    埼玉県に進み、新座市をつらぬきます
     新座市の歴史公園の看板です
Photo_3
   少し見にくいので、ごめんなさいです
 
 この後、用水は 志木市に入り
  (野火止という地名が残っていますが)
   新河岸川を超え、荒川の近くまでのびています
 
   新河岸川は、これら野菜を江戸に運び(舟運)
    帰りには、江戸の肥を運んだのです
    Photo_4

2017年4月22日 (土)

もぐらくんの自然のこと(東京湾)

  

東京湾の昨日と今日(11)

 
   東京湾に「クジラ」のTV報道がありました
     おそらくクジラに違いありません
     江戸時代や明治にもクジラは見られました
   動物、魚、鳥、や昆虫たちは餌を求めて
    やってきます
     冨栄養の東京湾のプランクトンをクジラは
   食べてくれるかもしれません
  さて、玉川上水の続きを。。。
Photo
 これは多摩モノレールの玉川上水の駅です
  西武拝島線、玉川上水の交点です
  この前、多摩川の羽村から水を分けて
   武蔵野台地をゆっくりと流れた玉川上水は
   このあたりで、今は沈殿池が設置されて
    ゴミが除かれ
    玉川上水と野火止用水に分かれます
Photo_2
 
  沈殿池は現在の姿ですが、昔はまっすぐ
   流れてました
  上水は昔の水道水ですから
    「汚してはならない・ごみを捨ててはならない」
    との高札がたくさんあり
    きれいに管理されたようです
  また、きれいな水を維持するため
    江戸市内の町々の役人が努力を続けました
  江戸の衛生状態が保たれたのは。。。。。
    上下水道を分けたためです
   下水の代表は「肥溜め」ですが。。。
   これは商品で売ることができました
   主に、新河岸川を肥船で、板橋ー朝霞ー志木ー
    川越へと運ばれて 良い野菜となったのです
  さて、もう少し玉川上水を下ると三鷹の駅で
  上水は中央線と交差します
     (太宰治の入水地あたりです)
Photo_3
  Photo_4
   
 昔はもっと水量が多かったそうです
 
  もう少し行くと「井之頭公園」に行きつきます
   武蔵野の林を残す良いところです
    スタジオジブリもありますね 

2017年4月 7日 (金)

もぐらくんの自然のこと(東京湾)

東京湾の昨日と今日(10)

  なかなか東京湾は遠くて。。。まだまだ川の話です
 でも、今回は江戸の都市計画を見ていきます
  そして、いつか都市と海の話にたどりつけば。。
         と思います
さて、江戸は、徳川幕府の都市計画で約100年を経て
 100万人を超える大都市になりました
 ヨーロッパの巨大都市に肩を並べることとなりました
 ローマは1日でならず。。。ですが
  江戸の都市計画も難事業で
   都市3大要素は
    1、水の確保
    2、食べ物の確保
    3、土地の確保
 
 水の確保は武蔵野台地に水を通すに、どうするか?
  Dscn5809
 
 多摩川と荒川は武蔵野台地の、北と南を流れてますが
   低地を流れているので、この水は上水としては使えません
   武蔵野台地の上部(尾根筋)に水を引く必要があります
    図は「玉川上水」ですが
      多摩川の現羽村から分水して
    江戸の中心、四谷大木戸までを工事せねばなりません
   羽村から四谷までの距離は約43kmです
    43kmの距離で標高差は100mでした
    何とかこれを掘り進め、水の確保となったのです 
       Photo
  これは現在の羽村の取水口で
   公園となっており、昔の堰の名残があります
      Photo_2
   堰の石積みです
     堰が崩れるとゼロから工事のやり直しになるので
    取水口は大雨や台風には専任者を貼り付けて
      江戸への給水を継続させました
    また、工事は難工事であり、資金も不足し
    写真の玉川兄弟は私財を投げ打ち、
     上水の完成へ向かったとのことです
 
    Photo_3
     次回は玉川上水の、もう少し下流です
 
 

2017年3月24日 (金)

もぐらくんの自然のこと(東京湾)

東京湾の昨日と今日(9)

 武蔵野台地の北側に荒川があり、南側には多摩川が流れ
     両川は東京湾に流れる川の代表です。
 
多摩川には最上流部に奥多摩湖があるが、全体を通して
      自然豊かな川です
  Photo
ここは東急田園都市線の二子玉川駅付近から上流を見た写真です
  前回の等々力渓谷のやや上流です
 
Photo_2
  自然が多い多摩川ですが、沿線は中央線を中心に
   巨大な人口の、いわゆるベッドタウンです
 この駅は二子玉川駅と言いますが、
  川の多摩川の字とは異なります
  少し脱線しますが。。。前は玉川電気鉄道であって、
 また、東急は東京横浜電鉄でした
 
   複雑な鉄道の合併があって、今はこの名となってます
      Photo_4
    
        さらに下流ですが、川崎大師のそばです
           吉原が広く河原をおおっています
       このあたりは、「大師干潟」と言い、浅瀬ではアサリを
        ひとびとが採っています

       Photo_5
         付録ですが。。。 川崎大師の本堂です

2017年3月11日 (土)

もぐらくんの自然のこと(東京湾)

東京湾の昨日と今日(8)

  多摩川
  多摩川の前に等々力渓谷へ招待します
   今にのこる 武蔵野台地の証拠です
  東京の今から  これを見ると。。。。
  世田谷の街の中に、こんな渓谷があるとは。。。
   残っているとは。。。不思議です!!!
  Photo
 ここは東急大井町線 等々力駅のすぐそばです
  (この少し北方面には、放映中の大河ドラマの
   井伊家菩提寺「豪徳寺」があり、
    東方面は九品仏
   と世田谷には大きなお寺があります)
  Photo_2
  さて、多摩川の上流に行きますが
    東京を縦断する多摩川をもう一度
    確認します
 Photo_3
 さて、荒川は武蔵野台地の北側を、関東平野をかこむ
   ようにに流れてましたが。。。。、
     多摩川の上流部は荒川上流近くに源を発した
    138kmの河川で、武蔵野台地を横切り
    東京の南を流れ、羽田飛行場のそばで
         東京湾に入ります
    (等々力渓谷は、上図の最下流部あたりです)
 Photo_4
 ここは逆に上流部の。。。。青梅駅のそばです

2017年2月24日 (金)

もぐらくんの自然のこと(東京湾)

 東京湾の昨日と今日(7)
   利根川や荒川の変遷
 江戸は東西に伸びる武蔵野台地に
  花開いた
      昔の大都会です
   台地の北は,今は関東平野ですが
   その平野は、大昔は海の底ですから 
 
  昔の図で見るように、河川のほとんどは
    東京湾に流れていきますから、
 それこそ毎年
   大雨が  降れば。。。大洪水です
  ここで、大きな川は利根川と荒川ですが、

Img_20151116_0001

   発展途上の江戸大都会は水害から街を
  守ることが
    ともかくも急務でした(幕府の転覆につながります)
   さて、降雨水量の半分を、他に流さねばなりません
   そこで、大大工事ですが、利根川の流れをを
  太平洋に移すことを計画し、まさしく実行したのです
    そして
  利根川は、今は銚子を通り太平洋に流れています
   さて、それでも江戸の北は低い土地ですから、洪水は
        残念ながら7。。やってきました
     時代が進み
  明治・大正時代となり、荒川=隅田川を分けて
    荒川放水路を作ったのです(掘りました)
    現在の荒川と隅田川を水門で分けたのです
    写真は赤羽のそばの岩淵水門です
    荒川放水路は現在は、荒川と名前が変わり
     元の荒川を隅田川としました
Photo
  その絵が下ですが。。。
  2本の線の内、太い方が荒川
  細い蛇のような線が隅田川です
   比較して、隅田川がとにかく細いです
  これでは、洪水が起きて。。どうしようもない
   と想像できます
  江戸時代の利根川の付け替え(東遷)
   大正時代の荒川放水路を掘ったことで
   江戸と東京は大発展をしていくわけです
   大きな岩淵水門は、水を分けて。。。
   東京が洪水となるのを防止したわけです
Photo_2
 資料:荒川知水資料館

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