2017年5月
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2017年5月20日 (土)

もぐらくんの自然のこと(東京湾)

東京湾の昨日と今日(12)

  東京湾へは なかなか。。。
      まだ武蔵野台地にとどまっています
 今回は野火止用水です
Photo
ここは前回の玉川上水の少しだけ、下流です
 ここから、野火止用水が分枝されて 直角に北へ
      流れます
 清瀬市では静かな住宅街を流れ
  市民のいこいの小川になっています
 
玉川上水には、いくつかの支流が
  武蔵野の住民の水の供給と
    畑への作物のために使われました
   実に、江戸の100万住民の食生活に
   寄与したのです
        
         Photo_2
    野火止用水はその後
    埼玉県に進み、新座市をつらぬきます
     新座市の歴史公園の看板です
Photo_3
   少し見にくいので、ごめんなさいです
 
 この後、用水は 志木市に入り
  (野火止という地名が残っていますが)
   新河岸川を超え、荒川の近くまでのびています
 
   新河岸川は、これら野菜を江戸に運び(舟運)
    帰りには、江戸の肥を運んだのです
    Photo_4

2017年4月22日 (土)

もぐらくんの自然のこと(東京湾)

  

東京湾の昨日と今日(11)

 
   東京湾に「クジラ」のTV報道がありました
     おそらくクジラに違いありません
     江戸時代や明治にもクジラは見られました
   動物、魚、鳥、や昆虫たちは餌を求めて
    やってきます
     冨栄養の東京湾のプランクトンをクジラは
   食べてくれるかもしれません
  さて、玉川上水の続きを。。。
Photo
 これは多摩モノレールの玉川上水の駅です
  西武拝島線、玉川上水の交点です
  この前、多摩川の羽村から水を分けて
   武蔵野台地をゆっくりと流れた玉川上水は
   このあたりで、今は沈殿池が設置されて
    ゴミが除かれ
    玉川上水と野火止用水に分かれます
Photo_2
 
  沈殿池は現在の姿ですが、昔はまっすぐ
   流れてました
  上水は昔の水道水ですから
    「汚してはならない・ごみを捨ててはならない」
    との高札がたくさんあり
    きれいに管理されたようです
  また、きれいな水を維持するため
    江戸市内の町々の役人が努力を続けました
  江戸の衛生状態が保たれたのは。。。。。
    上下水道を分けたためです
   下水の代表は「肥溜め」ですが。。。
   これは商品で売ることができました
   主に、新河岸川を肥船で、板橋ー朝霞ー志木ー
    川越へと運ばれて 良い野菜となったのです
  さて、もう少し玉川上水を下ると三鷹の駅で
  上水は中央線と交差します
     (太宰治の入水地あたりです)
Photo_3
  Photo_4
   
 昔はもっと水量が多かったそうです
 
  もう少し行くと「井之頭公園」に行きつきます
   武蔵野の林を残す良いところです
    スタジオジブリもありますね 

2017年4月 7日 (金)

もぐらくんの自然のこと(東京湾)

東京湾の昨日と今日(10)

  なかなか東京湾は遠くて。。。まだまだ川の話です
 でも、今回は江戸の都市計画を見ていきます
  そして、いつか都市と海の話にたどりつけば。。
         と思います
さて、江戸は、徳川幕府の都市計画で約100年を経て
 100万人を超える大都市になりました
 ヨーロッパの巨大都市に肩を並べることとなりました
 ローマは1日でならず。。。ですが
  江戸の都市計画も難事業で
   都市3大要素は
    1、水の確保
    2、食べ物の確保
    3、土地の確保
 
 水の確保は武蔵野台地に水を通すに、どうするか?
  Dscn5809
 
 多摩川と荒川は武蔵野台地の、北と南を流れてますが
   低地を流れているので、この水は上水としては使えません
   武蔵野台地の上部(尾根筋)に水を引く必要があります
    図は「玉川上水」ですが
      多摩川の現羽村から分水して
    江戸の中心、四谷大木戸までを工事せねばなりません
   羽村から四谷までの距離は約43kmです
    43kmの距離で標高差は100mでした
    何とかこれを掘り進め、水の確保となったのです 
       Photo
  これは現在の羽村の取水口で
   公園となっており、昔の堰の名残があります
      Photo_2
   堰の石積みです
     堰が崩れるとゼロから工事のやり直しになるので
    取水口は大雨や台風には専任者を貼り付けて
      江戸への給水を継続させました
    また、工事は難工事であり、資金も不足し
    写真の玉川兄弟は私財を投げ打ち、
     上水の完成へ向かったとのことです
 
    Photo_3
     次回は玉川上水の、もう少し下流です
 
 

2017年3月24日 (金)

もぐらくんの自然のこと(東京湾)

東京湾の昨日と今日(9)

 武蔵野台地の北側に荒川があり、南側には多摩川が流れ
     両川は東京湾に流れる川の代表です。
 
多摩川には最上流部に奥多摩湖があるが、全体を通して
      自然豊かな川です
  Photo
ここは東急田園都市線の二子玉川駅付近から上流を見た写真です
  前回の等々力渓谷のやや上流です
 
Photo_2
  自然が多い多摩川ですが、沿線は中央線を中心に
   巨大な人口の、いわゆるベッドタウンです
 この駅は二子玉川駅と言いますが、
  川の多摩川の字とは異なります
  少し脱線しますが。。。前は玉川電気鉄道であって、
 また、東急は東京横浜電鉄でした
 
   複雑な鉄道の合併があって、今はこの名となってます
      Photo_4
    
        さらに下流ですが、川崎大師のそばです
           吉原が広く河原をおおっています
       このあたりは、「大師干潟」と言い、浅瀬ではアサリを
        ひとびとが採っています

       Photo_5
         付録ですが。。。 川崎大師の本堂です

2017年3月11日 (土)

もぐらくんの自然のこと(東京湾)

東京湾の昨日と今日(8)

  多摩川
  多摩川の前に等々力渓谷へ招待します
   今にのこる 武蔵野台地の証拠です
  東京の今から  これを見ると。。。。
  世田谷の街の中に、こんな渓谷があるとは。。。
   残っているとは。。。不思議です!!!
  Photo
 ここは東急大井町線 等々力駅のすぐそばです
  (この少し北方面には、放映中の大河ドラマの
   井伊家菩提寺「豪徳寺」があり、
    東方面は九品仏
   と世田谷には大きなお寺があります)
  Photo_2
  さて、多摩川の上流に行きますが
    東京を縦断する多摩川をもう一度
    確認します
 Photo_3
 さて、荒川は武蔵野台地の北側を、関東平野をかこむ
   ようにに流れてましたが。。。。、
     多摩川の上流部は荒川上流近くに源を発した
    138kmの河川で、武蔵野台地を横切り
    東京の南を流れ、羽田飛行場のそばで
         東京湾に入ります
    (等々力渓谷は、上図の最下流部あたりです)
 Photo_4
 ここは逆に上流部の。。。。青梅駅のそばです

2017年2月24日 (金)

もぐらくんの自然のこと(東京湾)

 東京湾の昨日と今日(7)
   利根川や荒川の変遷
 江戸は東西に伸びる武蔵野台地に
  花開いた
      昔の大都会です
   台地の北は,今は関東平野ですが
   その平野は、大昔は海の底ですから 
 
  昔の図で見るように、河川のほとんどは
    東京湾に流れていきますから、
 それこそ毎年
   大雨が  降れば。。。大洪水です
  ここで、大きな川は利根川と荒川ですが、

Img_20151116_0001

   発展途上の江戸大都会は水害から街を
  守ることが
    ともかくも急務でした(幕府の転覆につながります)
   さて、降雨水量の半分を、他に流さねばなりません
   そこで、大大工事ですが、利根川の流れをを
  太平洋に移すことを計画し、まさしく実行したのです
    そして
  利根川は、今は銚子を通り太平洋に流れています
   さて、それでも江戸の北は低い土地ですから、洪水は
        残念ながら7。。やってきました
     時代が進み
  明治・大正時代となり、荒川=隅田川を分けて
    荒川放水路を作ったのです(掘りました)
    現在の荒川と隅田川を水門で分けたのです
    写真は赤羽のそばの岩淵水門です
    荒川放水路は現在は、荒川と名前が変わり
     元の荒川を隅田川としました
Photo
  その絵が下ですが。。。
  2本の線の内、太い方が荒川
  細い蛇のような線が隅田川です
   比較して、隅田川がとにかく細いです
  これでは、洪水が起きて。。どうしようもない
   と想像できます
  江戸時代の利根川の付け替え(東遷)
   大正時代の荒川放水路を掘ったことで
   江戸と東京は大発展をしていくわけです
   大きな岩淵水門は、水を分けて。。。
   東京が洪水となるのを防止したわけです
Photo_2
 資料:荒川知水資料館

2017年2月10日 (金)

もぐらくんの自然のこと(東京湾)

東京湾の昨日と今日

 荒川と多摩川
江戸と関東平野を見るため、川を見ていきます
Dscn5659
ラフな図ですが。。。これは東京都と関東平野を書きました
  ここで単純化して川は荒川と多摩川を見てもらいます
 さて、荒川は全長、173kmですが
 奥秩父の甲武信岳を源にして、まず秩父盆地を東に流れます
 秩父盆地は埼玉県の西部の大きな盆地で、川は山間を
  大きく削り、盆地の東端で写真の長瀞になります
  ここは観光地で「瀞」となってます
   夏はラフチングや船遊びで多くの人がやってきます
Photo
 
 また長く続く岩畳は壮大であり、美しい景観でもあります
  ここは地質や岩石の研究の地でもあって、
   かつて宮沢賢治も訪れ、研究をしていたようです
 
 荒川は秩父盆地を出て、まだ東へ進みます
 現在の熊谷あたりで南にカーブし、関東平野の中央部
  を南下します
 関東平野の昔は海でしたので、いわば海の低いところを
  進みます
   かつては利根川もこのあたりで、荒川と共に
   江戸から東京湾へ行ったわけです
  (利根川は江戸幕府により、洪水対策のため、銚子へ
       進路を変えられました)
 
 Photo_2
 ずーっと南下した荒川は、現在の朝霞で東京の水がめとして
  朝霞浄水場へ取水されます
  これはその取水堰です。
  荒川は名前のごとく、荒れた川の意味ですが
  次回は利根川の付け替えも含め、治水面の荒川を見ていきます

2017年1月27日 (金)

もぐらくんの自然のこと(東京湾)

 
東京湾の昨日と今日(5)
   武蔵野台地  
 大森貝塚を見てきて、東京の周囲は海。。。で
   あったことがわかります
  今、関東平野は日本最大の平野で
   巨大な都市化と人口増加が進み、
    昔の面影はまったくわかりません
 しかし、江戸時代の関東平野は、海こそ引いてますが、
 ヨシ原の広大ないわゆる大湿地になっています
 さて、この大湿地帯の江戸幕府による土地改良
  の話の前に、江戸幕府そして江戸城は
   どのような、立地にあったのでしょうか。。。。
Photo
 多くの戦国の城は、各地の台地に築城されました
  もちろん江戸城も同様です
   大地の名は武蔵野台地で、上の図の東端に
   築かれました
     (東京は東から西へのびる県です)
   最初の築城は太田道灌と言われますが。。。 
太田道灌がどのような城を築いたか、詳細は残って
  いません
  が、徳川家康の江戸城と場所は同一です
  武蔵野台地は、たいへん大きな台地で
    多摩川の上流の青梅から。。。
   台地の端の千代田区まで60km近くの
         距離を持つ台地です
   標高24mくらいの日本水準原点(国会議事堂前)
 から青梅駅標高の200mまで、なだらかな傾斜を持つ
    大きな台地です
 さて、台地の様子は、京浜東北線の沿線の崖の
   各所に見て取れます
Photo_2
  西郷さんの銅像の立つ下の、上野駅です
   アメ横方面から上野の森を眺めた崖です
  上野の森には、数々の美術館・博物館があり
   動物園も、この中です

  線路から少し離れますが
Photo_3
 
ここは、神田明神の男坂です
  かなりの急坂です
  (銭形平次はこのあたりー明神下ーで活躍して
  たそうで、相棒のガラッパチもいました)
  江戸時代、急な坂路に苦労したものと同情します
 さて、京浜東北線をもう少し北にきますと。。。。
  王子の山・飛鳥山があります
   ここは、江戸時代から庶民のサクラの名所です
  (上野の森は幕府のおひざ元で、羽目をはずして
   の花見は難しかったようです)
  その点、王子は庶民的でした
 Photo_4
  今は、無料のモノレールが王子駅から。。。
  王子の山まで、皆さまを運んでくれます
   それほど!きつい坂です

2017年1月13日 (金)

もぐらくんの自然のこと(東京湾)

  東京湾の昨日と今日(4)
前回、大森貝塚の碑を紹介しました
 続きで発見者のモース像をまず見てください
この像は大森駅から品川に向かい徒歩5分
 くらいの大森貝塚公園に座っています
Photo
 モースのあと、旧東京湾の周辺各地で貝塚が。。。
  続々と発見・発掘されています(12/31写真)
 さて、それからは海が後退していき、今から千年前
  くらいには関東平野が少しづつ姿を見せてきます
 関東平野の全体的は、それこそ低地の
   湿地帯の状態でした
 また時代は不詳ですが、神社には鯨の絵が
  残されています(品川歴史博物館)
Photo_2
その時代の おおよその
    河川の状態を見てください
  東京湾には、関東平野の半分の地域の水が
  注がれていることがわかります
 多くの河川名と河川は、今と異なる状態ですが。。。
  最大の違いは利根川です。。。。、
  今は千葉の銚子から太平洋に注がれてますが
  この時代は、東京湾に流れてます
Img_20151116_0001
  江戸時代に入り、それまでの関東は
  自然のまま。。。でしたが、
   徐々に人間の手が 加わり、
    河川の付け替え(流路変更)や東京湾の
   埋め立てがされていきます
   (これらは次号で)
 
 
 
 

2016年12月31日 (土)

もぐらくんの自然のこと(東京湾)

   

東京湾の昨日と今日(3)


 もう今年の最後の日になってしまいました
   明日からは2017年です
   驚きます!!!

 さて、佃島の今日は、林立するマンションビル群でした
 でも、住吉神社の周辺には写真のようなレトロな家
       もたくさんあります
 それに佃島の向こうは、「月島」で「もんじゃ」の街
   なので、訪れた方は多いと思います
  Photo
 これは佃煮やさんです
  他にも店がありますが、皆おいしいです
 さて、江戸の時間をもっと。。。もっと戻ると
  縄文時代です
 1万年前に氷河期が終わり、多くの水が溶けだし 溶け出して
  海進というそうですが、
        関東の多くの所は海となりました
   現在の埼玉県の多くは海で「奥東京湾」とのことです
  海があった証拠は。。。
        関東平野の周辺の台地には
      多くの貝塚と縄文土器が見つかることです
     ( ・ の場所です)
 Photo_2
  現、霞が浦もその面積は、今よりはるかに大きいですね

   ところでこの中で、早く発見された貝塚は大森貝塚
   ですが後に東大教授となったモースが、
      開通間もない 横浜ー新橋の車窓から
      大森の崖を見たところ、他の地層との違いを感じました
    その後、当時の政府の許可を得て発掘を行い
    大規模な貝塚と縄文群落を発見につながったのです
  (現在は大森駅を出てすぐ、京浜東北線大宮方面の
    左側車窓から 「大森貝塚」の碑が、一瞬ですが見て取れます)
   2
   また、大森駅周辺には、貝塚に関し碑や
         品川区立歴史博物館が
           あって、昔の勉強ができます
    (では、2017年にまたお会いしましょう)
 
 

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