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2017年3月11日 (土)

もぐらくんの自然のこと(東京湾)

東京湾の昨日と今日(8)

  多摩川
  多摩川の前に等々力渓谷へ招待します
   今にのこる 武蔵野台地の証拠です
  東京の今から  これを見ると。。。。
  世田谷の街の中に、こんな渓谷があるとは。。。
   残っているとは。。。不思議です!!!
  Photo
 ここは東急大井町線 等々力駅のすぐそばです
  (この少し北方面には、放映中の大河ドラマの
   井伊家菩提寺「豪徳寺」があり、
    東方面は九品仏
   と世田谷には大きなお寺があります)
  Photo_2
  さて、多摩川の上流に行きますが
    東京を縦断する多摩川をもう一度
    確認します
 Photo_3
 さて、荒川は武蔵野台地の北側を、関東平野をかこむ
   ようにに流れてましたが。。。。、
     多摩川の上流部は荒川上流近くに源を発した
    138kmの河川で、武蔵野台地を横切り
    東京の南を流れ、羽田飛行場のそばで
         東京湾に入ります
    (等々力渓谷は、上図の最下流部あたりです)
 Photo_4
 ここは逆に上流部の。。。。青梅駅のそばです

2017年2月24日 (金)

もぐらくんの自然のこと(東京湾)

 東京湾の昨日と今日(7)
   利根川や荒川の変遷
 江戸は東西に伸びる武蔵野台地に
  花開いた
      昔の大都会です
   台地の北は,今は関東平野ですが
   その平野は、大昔は海の底ですから 
 
  昔の図で見るように、河川のほとんどは
    東京湾に流れていきますから、
 それこそ毎年
   大雨が  降れば。。。大洪水です
  ここで、大きな川は利根川と荒川ですが、

Img_20151116_0001

   発展途上の江戸大都会は水害から街を
  守ることが
    ともかくも急務でした(幕府の転覆につながります)
   さて、降雨水量の半分を、他に流さねばなりません
   そこで、大大工事ですが、利根川の流れをを
  太平洋に移すことを計画し、まさしく実行したのです
    そして
  利根川は、今は銚子を通り太平洋に流れています
   さて、それでも江戸の北は低い土地ですから、洪水は
        残念ながら7。。やってきました
     時代が進み
  明治・大正時代となり、荒川=隅田川を分けて
    荒川放水路を作ったのです(掘りました)
    現在の荒川と隅田川を水門で分けたのです
    写真は赤羽のそばの岩淵水門です
    荒川放水路は現在は、荒川と名前が変わり
     元の荒川を隅田川としました
Photo
  その絵が下ですが。。。
  2本の線の内、太い方が荒川
  細い蛇のような線が隅田川です
   比較して、隅田川がとにかく細いです
  これでは、洪水が起きて。。どうしようもない
   と想像できます
  江戸時代の利根川の付け替え(東遷)
   大正時代の荒川放水路を掘ったことで
   江戸と東京は大発展をしていくわけです
   大きな岩淵水門は、水を分けて。。。
   東京が洪水となるのを防止したわけです
Photo_2
 資料:荒川知水資料館

2017年2月10日 (金)

もぐらくんの自然のこと(東京湾)

東京湾の昨日と今日

 荒川と多摩川
江戸と関東平野を見るため、川を見ていきます
Dscn5659
ラフな図ですが。。。これは東京都と関東平野を書きました
  ここで単純化して川は荒川と多摩川を見てもらいます
 さて、荒川は全長、173kmですが
 奥秩父の甲武信岳を源にして、まず秩父盆地を東に流れます
 秩父盆地は埼玉県の西部の大きな盆地で、川は山間を
  大きく削り、盆地の東端で写真の長瀞になります
  ここは観光地で「瀞」となってます
   夏はラフチングや船遊びで多くの人がやってきます
Photo
 
 また長く続く岩畳は壮大であり、美しい景観でもあります
  ここは地質や岩石の研究の地でもあって、
   かつて宮沢賢治も訪れ、研究をしていたようです
 
 荒川は秩父盆地を出て、まだ東へ進みます
 現在の熊谷あたりで南にカーブし、関東平野の中央部
  を南下します
 関東平野の昔は海でしたので、いわば海の低いところを
  進みます
   かつては利根川もこのあたりで、荒川と共に
   江戸から東京湾へ行ったわけです
  (利根川は江戸幕府により、洪水対策のため、銚子へ
       進路を変えられました)
 
 Photo_2
 ずーっと南下した荒川は、現在の朝霞で東京の水がめとして
  朝霞浄水場へ取水されます
  これはその取水堰です。
  荒川は名前のごとく、荒れた川の意味ですが
  次回は利根川の付け替えも含め、治水面の荒川を見ていきます

2017年1月27日 (金)

もぐらくんの自然のこと(東京湾)

 
東京湾の昨日と今日(5)
   武蔵野台地  
 大森貝塚を見てきて、東京の周囲は海。。。で
   あったことがわかります
  今、関東平野は日本最大の平野で
   巨大な都市化と人口増加が進み、
    昔の面影はまったくわかりません
 しかし、江戸時代の関東平野は、海こそ引いてますが、
 ヨシ原の広大ないわゆる大湿地になっています
 さて、この大湿地帯の江戸幕府による土地改良
  の話の前に、江戸幕府そして江戸城は
   どのような、立地にあったのでしょうか。。。。
Photo
 多くの戦国の城は、各地の台地に築城されました
  もちろん江戸城も同様です
   大地の名は武蔵野台地で、上の図の東端に
   築かれました
     (東京は東から西へのびる県です)
   最初の築城は太田道灌と言われますが。。。 
太田道灌がどのような城を築いたか、詳細は残って
  いません
  が、徳川家康の江戸城と場所は同一です
  武蔵野台地は、たいへん大きな台地で
    多摩川の上流の青梅から。。。
   台地の端の千代田区まで60km近くの
         距離を持つ台地です
   標高24mくらいの日本水準原点(国会議事堂前)
 から青梅駅標高の200mまで、なだらかな傾斜を持つ
    大きな台地です
 さて、台地の様子は、京浜東北線の沿線の崖の
   各所に見て取れます
Photo_2
  西郷さんの銅像の立つ下の、上野駅です
   アメ横方面から上野の森を眺めた崖です
  上野の森には、数々の美術館・博物館があり
   動物園も、この中です

  線路から少し離れますが
Photo_3
 
ここは、神田明神の男坂です
  かなりの急坂です
  (銭形平次はこのあたりー明神下ーで活躍して
  たそうで、相棒のガラッパチもいました)
  江戸時代、急な坂路に苦労したものと同情します
 さて、京浜東北線をもう少し北にきますと。。。。
  王子の山・飛鳥山があります
   ここは、江戸時代から庶民のサクラの名所です
  (上野の森は幕府のおひざ元で、羽目をはずして
   の花見は難しかったようです)
  その点、王子は庶民的でした
 Photo_4
  今は、無料のモノレールが王子駅から。。。
  王子の山まで、皆さまを運んでくれます
   それほど!きつい坂です

2017年1月13日 (金)

もぐらくんの自然のこと(東京湾)

  東京湾の昨日と今日(4)
前回、大森貝塚の碑を紹介しました
 続きで発見者のモース像をまず見てください
この像は大森駅から品川に向かい徒歩5分
 くらいの大森貝塚公園に座っています
Photo
 モースのあと、旧東京湾の周辺各地で貝塚が。。。
  続々と発見・発掘されています(12/31写真)
 さて、それからは海が後退していき、今から千年前
  くらいには関東平野が少しづつ姿を見せてきます
 関東平野の全体的は、それこそ低地の
   湿地帯の状態でした
 また時代は不詳ですが、神社には鯨の絵が
  残されています(品川歴史博物館)
Photo_2
その時代の おおよその
    河川の状態を見てください
  東京湾には、関東平野の半分の地域の水が
  注がれていることがわかります
 多くの河川名と河川は、今と異なる状態ですが。。。
  最大の違いは利根川です。。。。、
  今は千葉の銚子から太平洋に注がれてますが
  この時代は、東京湾に流れてます
Img_20151116_0001
  江戸時代に入り、それまでの関東は
  自然のまま。。。でしたが、
   徐々に人間の手が 加わり、
    河川の付け替え(流路変更)や東京湾の
   埋め立てがされていきます
   (これらは次号で)
 
 
 
 

2016年12月31日 (土)

もぐらくんの自然のこと(東京湾)

   

東京湾の昨日と今日(3)


 もう今年の最後の日になってしまいました
   明日からは2017年です
   驚きます!!!

 さて、佃島の今日は、林立するマンションビル群でした
 でも、住吉神社の周辺には写真のようなレトロな家
       もたくさんあります
 それに佃島の向こうは、「月島」で「もんじゃ」の街
   なので、訪れた方は多いと思います
  Photo
 これは佃煮やさんです
  他にも店がありますが、皆おいしいです
 さて、江戸の時間をもっと。。。もっと戻ると
  縄文時代です
 1万年前に氷河期が終わり、多くの水が溶けだし 溶け出して
  海進というそうですが、
        関東の多くの所は海となりました
   現在の埼玉県の多くは海で「奥東京湾」とのことです
  海があった証拠は。。。
        関東平野の周辺の台地には
      多くの貝塚と縄文土器が見つかることです
     ( ・ の場所です)
 Photo_2
  現、霞が浦もその面積は、今よりはるかに大きいですね

   ところでこの中で、早く発見された貝塚は大森貝塚
   ですが後に東大教授となったモースが、
      開通間もない 横浜ー新橋の車窓から
      大森の崖を見たところ、他の地層との違いを感じました
    その後、当時の政府の許可を得て発掘を行い
    大規模な貝塚と縄文群落を発見につながったのです
  (現在は大森駅を出てすぐ、京浜東北線大宮方面の
    左側車窓から 「大森貝塚」の碑が、一瞬ですが見て取れます)
   2
   また、大森駅周辺には、貝塚に関し碑や
         品川区立歴史博物館が
           あって、昔の勉強ができます
    (では、2017年にまたお会いしましょう)
 
 

2016年12月17日 (土)

もぐらくんの自然のこと(東京湾)

 

東京湾の昨日と今日(2)


 江戸時代の東京湾に目を向けてみました
  今回その続きを見ます
  Photo_2
    これは佃島の住吉神社のすぐ横の「立て札」ですが
   入り江には江戸時代の「柱」が埋もれている
        とのことです
  佃島には大阪より、それまで「漁」を行う漁師が
   不在だったので、集団で江戸に移り住みました
    この時の、漁の安全を祈願して住吉神社
     も移されたものと思います
  さて、現在の佃島はどうなっているのでしょうか
   このあたりの海の埋め立てが進み
    さらに、隅田川下流に向け、埋め立てが
     続けられて。。。
 
    今では。。。。。。。。。。
       建築技術が駆使され
     高級なタワーマンションが林立しています
  Photo_3
  永代橋から隅田川の下流を見た佃島の風景ですが
   なんとも表現できないくらいの、マンションビル群です
   通称「リバーサイド」とされています

    右端の△は佃島をつなぐ中央大橋です
    この隅田川の右側は、勝鬨橋方向になります
    左側は晴海運河となり、晴海ふ頭へとつながります
     ここは隅田川の最下流部で、東京湾の
       最奥部という ことです

    さて、これらの川底にはクルマエビが。。。とかってに
         想像しますが????
Photo_4

2016年12月 2日 (金)

もぐらくんの自然のこと(東京湾)

 

東京湾の昨日!と今日!

  「香辛料」から、がらりと変わった話題です
 
東京湾の昨日ですが、江戸時代のことからです。。。
 残念ながら写真はないので、お話から
         進めます
 香辛料とのつながりで、食べ物からです
 さて、徳川家康は江戸を、豊かな街にするにはと。。
  必死に考えた課題は食べ物です!!!
  武蔵jの国、関東平野は、そのころ、広大な
   湿地でした、見渡すかぎりの葦原です
   でも、荒地ではないので、耕していくことで、
    米や野菜は、何とかなりそうです
 さて、魚ですが東京湾は「しらうお」が捕れる、
   実に きれいな 海でした
Tokyobay_landsat
 現在の航空写真ですが、東京湾です
   きれいで豊かな海です
  でも、大阪のように、市場で魚が取引できる
  ほどの漁獲量はなかったようです
   それで家康は、大阪住吉から漁師を呼び寄せ
    佃島に住まわせて、漁を進めました
   (佃島の住吉神社は当時を想像できます)
 さて、どのような魚が、捕れて食卓に上ったのでしょう
 Photo
 これは現在の江戸前寿司ですが。。。
   (NHKダーウインから拝借してますー独楽寿司)
  現在の東京湾でも、こんな素晴らしい
       魚がとれます
   アナゴ・タコ・マゴチ・クルマエビ・コハダ・キスなど
    ですが、江戸時代はまさしく豊饒な海だったでしょう
  おいしい江戸前の「にぎり」はどのように発展したのでしょうか
    おいしい魚と江戸っ子の気風がマッチして
     発達してきたと思えます
   もちろん、「のり」も重要なすしの材料で。。。
    名前が残る「浅草のり」です   
    養殖は大森の海で盛んでした
   それで、現在でも、大森はノリ問屋の中心地です
   ノリ養殖は、船橋沖や木更津沖で盛んです
    東京湾の昨日ー今日として初めて見ましたので
    今後、東京湾の他の場所を順次見ていきます

2016年11月18日 (金)

もぐらくんの自然のこと(香辛料)

 

 七味唐辛子の香辛料

 ケシ(ケシの実)
   七味唐辛子にけしつぶ(ケシの実)が入ってますが
   香辛料の話からやや外れますが、
    麻薬としてのケシを解説します
 さて、ケシにはアサ(大麻)よりもはるかに厳格な
   麻薬の管理がされています
 でも、良くケシを見かけると反論が出そうですね
  麻薬のケシと非麻薬のケシの違いを見ていきます。
   園芸や路傍でよく見るケシはヒナゲシの仲間です
  麻薬のケシは、その違いが分かりやすいと思います
  ・葉に柄がない
  ・葉は茎を抱く
  ・葉は切れ込みが浅く、縁が波打つ
  ・葉の色は緑白色
  ・葉、茎に毛がない
   写真を参照ください
  非麻薬のヒナゲシは上の特徴の反対になります
Photo
  さて、麻薬ですが
  花のあとで、にぎりこぶし大の種子であるケシ坊主
       が見られます
  ここにナイフで傷をつけると、乳液が出てきます
  つぎに黒化し、削り取ると麻薬モルヒネが採取できます
 
  また、ケシ坊主の頂点から小粒の種が出てきますが、
  麻薬性は無く、食品として利用されます
 (種子の発芽防止されている)
 種子は煎ると香ばしく、七味やあんぱんに振りかけます
 植物と食品の関連を見てきました
   一部、薬品とも利用されたものがありました
  次回は、がらりと話題を転じ、東京湾の自然について
   見ていきたく思っています

2016年11月 4日 (金)

もぐらくんの自然のこと(香辛料)

   七味唐辛子の香辛料

 ですが、ちょっと異色かなと思われるアサ(麻)に触れます
 今、話題になっている。。。話題になってしまったアサ
   つまり、「大麻」です
  アサはアサ科の草本ですが、成長が速く
   1年で2.5mくらいの巨きなものになります
   写真は東京都薬用植物園の模型ですが
    麻薬との接点を書きますと「大麻取締法」によって
     すなわち麻薬の扱いです
   話題となっていますが、マリファナやハッシシの
   成分の少ない種も確かにあり、
     国により規制が
     異なるのも事実です
 しかし、日本では栽培時毒性の多少を外形から
     判断は困難です
     このため、疑わしい植物として規制対象です
    (実際に隠れて栽培する人もありました)
 Photo
   葉はこのように縁がギザギザです
   また、茎はまっすぐ伸び、強く長い繊維です
   この繊維を布として昔より利用しました
    涼しい着物が作れます
     それから、七味に戻りますが
     カリッとした実が、七味にブレンドされてます
   実は栄養分豊富で、油も取れます
    毒性はありませんが「麻子仁」という名で
    薬用では便秘薬です
   それから、マリファナやハッシシは葉や花から採ります
  追記>アサは成長が速く、良い繊維が採れるので
     世界的にエコな植物として見直されてきてます
    資料:東京都薬用植物園

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